【大学生向け】毎日退屈なら深夜特急を読んで旅に出てみよう【書評・レビュー】

今日は

  • 読んだらどうしても旅に出たくなってしまう本
  • 数え切れない若者をバックパッカーにしてしまった本
  • 旅人のバイブル

などなど

数々の呼び名をもつ不朽の名作「深夜特急」の魅力を語らせてください。

 

「なんだか最近つまらないなあ」

「何か新しいことに挑戦してみたいなあ」

と思っている人に特におすすめの本です。

 

ミスター破天荒、沢木耕太郎(著者と同一人物)の旅を追体験させてくれる本作品を読めば、悩んでないでとにかく何かやってみようと超ポジティブになること間違いなしです。

 

では早速、簡単に著者の紹介から。

 

沢木耕太郎(著者)の紹介

1947年東京生れ。横浜国立大学経済学部卒業。ほどなくルポライターとして出発し、鮮烈な感性と斬新な文体で注目を集める。1979年『テロルの決算』で大宅壮一ノンフィクション賞、1982年に『一瞬の夏』で新田次郎文学賞。その後も『深夜特急』や『檀』など今も読み継がれる名作を次々に発表し、2006年『凍』で講談社ノンフィクション賞を、2014年に『キャパの十字架』で司馬遼太郎賞を受賞している。近年は長編小説『波の音が消えるまで』『春に散る』を刊行。その他にも『旅する力』『あなたがいる場所』『流星ひとつ』「沢木耕太郎ノンフィクション」シリーズ(全9巻)などがあり、2018年9月には、25年分のエッセイを収録した『銀河を渡る 全エッセイ』を刊行した。
引用元:新潮社

 

すでに80歳近いですが、2019年現在もまだまだ現役で活躍されているようです。

そんな方の20代での実体験を元にした小説が深夜特急です。

間違いなく面白い体験が書かれていそうですよね?

 

深夜特急の登場人物

繰り返しになりますが、深夜特急は著者の沢木耕太郎が26歳の頃に実際に経験した1年余りの一人旅をまとめた実話です。

 

ということで全編を通して出てくる人物は沢木耕太郎のみ

 

もちろん行く先々で一風変わった魅力的な人々に出会いまくりますが、その土地を離れたら彼らはもう出てきません。でもやっぱり一番魅力的なのは主人公の沢木耕太郎です。

 

「初出社日に雨が降っていて、濡れるのが嫌だった。」

 

彼はこんな信じられない理由で、結局一度も出社することなく退職した異端児ですから(笑)

いわゆる普通の日本人なら出会わないだろう珍イベントが彼の周りでは次々と起こります。そしてそれらが実話なんだから本当に驚きです。

 

以下、それらの印象的なイベントの中からさらに厳選して本作品の魅力を紹介します。

 

印象的なエピソード

まず、本書の唯一にして最大のテーマは

人のためにもならず、学問の進歩に役立つわけでもなく、真実を極めることもなく、記録を作るためのものでもなく、血湧き肉躍る冒険大活劇でもなく、まるで何の意味もなく、誰でも可能で、しかしおよそ酔狂なやつでなくてはしそうにないことをする

です。

 

もうここから訳がわかりません。ちょっとぶっ飛びすぎです。でもなんかかっこいい(笑)まさに「沢木耕太郎の沢木耕太郎による沢木耕太郎のための旅」です。

 

そしてその奇天烈なテーマを実現する具体的な方法が

インドのデリーからイギリスのロンドンまで乗り合いバスで行ってロンドンの中央郵便局から到着を知らせる電報を打つ 

でした。

 

しかし、沢木耕太郎が旅した1970年代前半は現在のようにインターネットで簡単に情報が手に入る時代ではありません。だからこの目標を達成できるのかどうか誰にも分かりませんでした。

これに加えて、立ち寄った店で偶然見つけた「東京発 デリー行」の格安片道チケットが途中2箇所に立ち寄れることが分かったため「東京ー香港ーバンコクーデリー」に変更し、スタート地点のデリーに行く前にさらに冒険を追加します。

でも僕はこの変更こそ深夜特急最大の魅力であり発行部数600万部超のメガヒット作品になった理由だと思っています。

なぜなら、はっきり言ってデリーに着くまでの方が面白いからです。(もちろんデリー以降も面白いですが)

 

まず、彼はこの旅の計画を一切立てていませんでした。

トーマス・クック社発行の「時刻表」を参考にして、一度はコースの大まかなスケッチを仕掛けたこともあったが、途中で馬鹿ばかしくなってやめてしまった。計画を立て、その通りに動くくらいなら、このような旅をする必要はないではないか。

 

まさにその通り!

もし計画なんて立ててしまったら、酔狂で破天荒な旅になりません。

断じて計画など立ててはいけないのです。

 

そして無計画であることを象徴するように最初の地、香港で泊まった宿はいきなり連れ込み宿でした。

夜中は両隣の部屋から艶かしい声が毎晩聞こえてくるし、マカオのカジノに数日遊びに行ってから帰ってみると彼の部屋がそういうことに使われていました。(すぐに部屋を明け渡してもらいますが、シーツにはシミが、、、)

 

始めての海外でいきなりこんなディープな体験をして主人公のように淡々としていられる自信はありません、、、

 

実際僕は初めて行った台湾ではトラブルに続くトラブルで全然思った通りに行きませんでした。沢木耕太郎に憧れて、片道航空券だけ買って初日の宿さえ予約しなかったのがそもそもの失敗でしたね(苦笑)

 

話を戻して、、、

 

主人公は香港から足を伸ばしたマカオのカジノで、いきなり1200ドルも負けてしまいます。ちなみに彼が日本から持ってきた全財産は1500ドル分のトラベラーズチェックと400ドル分の現金の計1900ドルです。

そのうちの1200ドルをいきなり失くすというか、賭けるのははっきり言って頭がおかしい(笑)勇気があるというか無謀というか、、、

 

でも彼はただのバカではありませんでした。

マカオのカジノではサイコロを3つ使う大小(タイスウ)というゲームをしていたんですが、ゲームを注意深く観察し続けた結果、カジノがイカサマをしていることに気がつきます。

そのからくりを説明する前に簡単にルールを説明しておくと

大小(タイスウ)とは

3つのサイコロの出目の最小3、最大18を除いた4〜17を4〜10の小と11〜17の大に分けてどちらかにかけるゲームです。当たれば賭け金の2倍が手に入ります。でも三つのサイコロの出目が揃うゾロ目がでると親(カジノ側)の総取りになります。

いたってシンプルなルールです。だからそういうルールなんだなあとすぐに理解できると思いますが、主人公はあることに気がつきます。

かりにゾロ目の大小は親の総取りというルールがなかったとしたら、大小に二倍をつけている以上、論理的にカジノ側が儲ける方法はないということになる。たとえば、大と小との賭け金が常に同じ場合には、金は客同士の間を行き来するだけでカジノには一銭も入ってこない。(中略)ところが、実際にゾロ目の出る頻度は(計算よりも)かなり多く、十五回から二十回に一回は出てくる。(中略)カジノ側が(ゾロ目を)出せるように工夫しないはずがない。

つまり、カジノ側は狙ったときにゾロ目を出せるイカサマ機械を使っていたんです。

このイカサマに気がついた主人公はそれを逆手にとり見事に負けのほとんどを取り返すことに成功しました。

このあたりの駆け引きはとても緊張感があって自分がカジノにいるんじゃないかと錯覚してしまうくらい物語に引き込まれます。

 

ギャンブル嫌いな僕でも「カジノ行ってみてー」って思っちゃいました。

そして僕はこの話に影響されてオーストラリア留学中に本当にカジノに行き、思いっきり負けました(泣)それ以来、カジノには行っていません。将来的に日本にカジノができることになりましたが、僕は行かないと思います。

 

おっとまた話が逸れた、、、

 

主人公はマカオの後にマレーシアのペナン島に行くんですが、なぜかそこでも偶然、怪しいところに泊まることになります。そこは、香港の連れ込み宿からさらにワンランクアップした売春宿でした(笑)

だから当然お店お抱えの売春婦がいるんですが、そこにはもれなくヒモの男たちもいます。売春婦とヒモたちで溢れている宿なんて怖くて普通は泊まれません。

でも、主人公は彼らと大の仲良しになって一緒にピクニックまで行っちゃうんだから驚きのコミュ力です。しかも本人曰く、英語力は中学並みというからさらに驚きです。よく中学英語が分かれば海外でも通用するなんて言われますが、主人公はそれを地で行くタイプだったんですね。

 

まあそれは置いておいて、どうすれば狙っているわけでもないのに二連続でそういう怪しい宿にたどり着くんだろうか、、、

やっぱり主人公は事件を呼び寄せる才能があるとしか思えません。そう某有名漫画の主人公、名探偵コ◯ンくんのように(笑)

 

このように序盤からハチャメチャな旅を冒頭から繰り広げていますが、これでいて、主人公の根はとても真面目で洞察力に長けています。だからこそ物書きとして非凡な才能を発揮したんだと思いますが、例えば彼は旅人の魅力についてこう表現しています。

どんな世界にも入っていくことができ、自由に出てくることができる。出てこられることが保証されれば、どんなに痛苦に満ちた世界でもあらゆることが面白く感じられるものなのだ。私自身は何者でもないが、何者にでもなれる。それは素晴らしく楽しいことだった。

この一文を読んだだけで「旅人になってみたい」そう思わせる威力があります。そして実際に海外を一人で歩いてみて、このセリフが正しいことを実感しました。

確かにバックパッカーをしていたときは、自分の行きたい場所に自由に行き、自由に帰る。旅人でいた間は、こんな夢のような生活を送ることができたんです。

 

でも旅人はずっと面白いわけではありませんでした。

 

食べたいものが食べられないし、ふかふかなベッドで寝れないし、言葉は通じないし、何よりも孤独です。でも面白くないと感じれば、そこを出て行けばいい。

沢木耕太郎でさえもいくつかの土地に面白さを感じず、逃げるように通り過ぎています。

 

しかし旅人の魅力はこのような自由さだけではありません。

 

旅は人を変える、成長させてくれます。

 

なぜなら主人公の言葉を借りれば「旅とは人生に似ているもの」だから。人生と同じように旅で何かを得ると何かを失うようにできているんです。だから変わらざるを得ません。

実際、出発時と帰国時の主人公は別人のように変わっていました。本作品にはそういう変化が随所に散りばめられていますが、例えば主人公にはこんな変化が起きています。

 

(インドで物乞いに出会ったとき)

金をやる気にはなれなかった。この老人に渡したら、これから先、同じような目に遭うたびに、いつでも金をやらなければならなくなりそうだった。

 

こう思っていた主人公はあるときを境に考えを改めます(↓)

 

(イランで出会ったオランダ出身の青年の行動を見て)

物乞いは無数に存在するのだ。その国の絶望的な状況が根本から変革されないかぎり、個々の悲惨さは解決不能なのだ。(中略)。それは単に「あげない」ための理由づけに過ぎないような気がしてきた。(中略)。「あげない」ことに余計な理由をつける必要はない。自身のケチから「あげない」ということを認めるべきなのだ。

 

僕はこのセリフに頭をガツンとやられました。

この本を読んだ時点ではまだ海外に出たことはありませんでしたが、例えば、ホームレスなどが寄付を求めていてもあげたことはなかったからです。

 

そんな時僕は、「自分が100円とか渡したくらいでは何も変わらないだろう」と思っていました。

 

でもそういうのはただの言い訳なんですよね。

 

「あげたくないからあげない」

 

ただそれだけだったことに気づき、それ以来寄付しないことを無理やり正当化する必要はなくなったし、寄付したいときに寄付するようになりました。今は同じ人から定期的にビッグイシューを買ったりしています。

 

また主人公には他にもこんな変化も起きています。

 

(インドでの一幕)

ガヤの駅前では野宿ができた。ブッダガヤの村の食堂ではスプーンやフォークを使わずに三本の指で食べられるようになった。そしてこのバグァでは便所で紙を使わなくてもすむようになった。

 

物で溢れた世界で暮らす日本人にとってこんな何もない生活はおよそ快適ではないかもしれません。でも主人公は物に依存しない世界を知り、自分がその世界に馴染むに連れて、心が解放されたと感じるようになります。

世間でミニマリストが流行り出す30年以上前から沢木耕太郎はその境地に達していたわけです(笑)

でもこういう真面目というか洞察力に長けた彼はやっぱりどこか抜けているところもあって、物語のゴール、ロンドン中央郵便局では衝撃にして笑撃の結末を迎えます。

 

でもここを読んでしまうと自分で読む楽しみが無くなってしまうのであえてこの記事では結論について書きません。

 

でもえ1年以上も旅をしてきて、「え?こんな終わり方ありですか?(笑)」って思うほどのめちゃくちゃ意外な終わり方をします。

ぜひ結末をネットで調べずに読んでほしい作品です。

 

現代はネットで調べればほとんどなんでも分かってしまいます。でも実際に現地に行かないと体験はできません。

知識ではなく体験から得られる何かを求めて「旅」という選択を選んでみるのも一興です。僕が深夜特急を読んで旅に出たのは5年以上前ですが、今でも鮮明に思い出せます。一生の思い出です。

 

でももちろん、旅をしなければいけないということはないです。この本は単純に読み物としても面白いですよ。全6巻ですが苦も無く読み終わります。でも持ち歩くのが面倒なので電子書籍の合本版がおすすめです。

 

電子書籍リーダーを持っていない方は、ぜひキンドルの購入も検討してみてください。自分専用の図書館を持ち歩く感覚を味わえます!

Kindleシリーズの中で一番バランスのいい大容量かつ安価なモデルです

 

ではまた

周登

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA